2008・03
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振舞い (2008/03/27)
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長文しんどい!!笑 (2008/03/23)
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そういえば全然写真アップしてなかったね。


入院クロニクル 参 (2008/03/23)
かくして入院生活が始まった。当たり前だけど、病室にはベッドがある。それからベッドにかかるオーバーテーブル、戸棚とテレビ、冷蔵庫、パイプ椅子。ざっと見てその程度のものしかない。
それをぐるりと囲むようにカーテンがかかっている。その内側が僕のスペースというわけ。
当然これらはみんな僕の物ではないけれど、僕の認識が、ここが自分の空間であるという方向に納まっていく。心の平和と安穏のために。ただでさえ弱っているのだからね。
問題は、ここにあるスペースは一つではなく(最大で4つ)おのおのが独自のスペースを作り上げていることにある。そして、それはしばしば侵食しあうのだ。

例えば隣のベッドのT氏は、起きている限り喋り続けている。昼夜問わずなんでもない用事でナースコールも押しまくる。本当に、本当に本当に本当にうるさい。
もしT氏が、僕のアパートの隣人だとしたら、きっと僕は気が狂ってしまうと思う。
ただ、T氏の名誉のために言えば、彼だって大変なんだ、色々と。
奥さんと上手く行っておらず別居状態だとか、退院しても家に独りだとか、そういうこと。まあこれは彼が話し続けたことのほんの一部に過ぎないけど。

■2月28日
今朝、T氏が退院していった。とても喜ばしいことだ、ほとんど僕にとっての話だけど。
バイトを上がってから病院に来たことを考えると、相当な時間起き続けていたにも関わらず、昨夜はあまり熟睡できなかった。
でも昨日よりは調子が良い。痛みも少し引いてきた。おまけにとても静かだ。
それにしてもこうして横になっていると、高校の授業がだるくて、よく保健室でサボっていたのを思い出す。先生、ちょっと頭が痛いんで休ませて下さい、と言うふうに。

お昼にはある人が見舞いに来てくれた。沢山のお菓子と小説を持って。つまり、僕の生活に必要なものほとんど全てを持ってきてくれたということだ。

ところで、今日も、おそらく明日も、レントゲン一枚撮って終わりというのは如何なものなんだろう。
後は好きなだけお菓子を食べ、音楽を聴き、本を読む。家でごろごろして過ごすのとあまり変わらない。
僕を病人たらしめているのはこの胸の疼痛だけで、むしろこの胸の中に通っている管こそが全ての元凶のような気さえしてくる。
今後胸の痛みもどんどん無くなってくるだろう。そうなるともう、先述の保健室サボタージュ状態だ。

「ねえちょっと、あの人、どこも痛くないのに入院ですってよ」
「いやね、ベッドだってもういっぱいなのに」
なんて美しくささやく天使達の陰口が聞こえてくるかもしれない。

そんな冗談はさておき、もう随分慣れてきた(同時に飽きてきた)入院生活だが、早くも終わりの兆しが見えてきた。
胸から生えた管の先にある機械をもう止めてもいいそうだ。肺も元通りに膨らんでいるらしい。明日のレントゲン検査で問題がなければ管を抜きます、と医者が言った。
どこへ行くにも、まあトイレくらいにしか行けないけど、このマシンが金魚の糞のように、囚人の鎖のように、僕にまとわり付いてくる生活も終わりだ。

■2月29日
夕べもあまりよく眠れなかった。入院中に夜眠れなくなるというのは本当だった。ずっと横になり続けているのに、9時に消灯されたらたまったもんじゃない。

これまで病棟から出てはいけないという医者の命令が下っていたのだけれど、今日から一人でレントゲン室に歩いて行っても良いよと、看護師が言ってくれた。
2日間もベッドにへばりついていたから、かなり嬉しい。飛び方を覚えたばかりの小鳥のような気分だ。

お昼頃には、NADSADの3人がやってきてくれた。
とても久し振りに会うような気がする。ホールデン君風に言えば、10万年振りくらい。それがこんなところになってしまって申し訳ないけれど、心配して来てくれるのは嬉しいし、助かる。
みんな相変わらずだね。短い時間だったけれど、楽しかった。

それから窓の外を眺めながらぼんやりすごしていた。時間なら腐るほどある。
この機会に物事を振り返ってみたりするべきなんだろうけど、いざ、はいどうぞと時間を渡されても途方に暮れてしまうのはどうしてだろう。
普段はそういうことを求めているはずなのにね。めんどうな生き物だ。

とうとう隣に新しい病人が入ってきてしまった。
耳が悪いらしく、会話するときは自分も他人も大声でやりとりしなければならず、T氏がいた時と同じくらいか、それ以上に騒がしい病室になった。
もし入院における相室運というものがあるのなら、僕は全く恵まれていない方の人間だろう。

病室に居ても仕方ないし、暇つぶしに病院内をうろついてみた。
喫煙所に行って、外の空気を吸った。もちろんそれだけでは物足りないので、その辺のおじさんに一本もらって一緒に一服した。
医者からは絶対禁煙を言い渡されているのは秘密にした。
帰りに病院内のコンビニに寄った。僕にとってはとても親近感が湧くコンビニだ。そのままここで働いてもいいくらいに。
でも、煙草を売っていないのはかなりショックだった。当たり前と言えば当たり前だけど。

病室に戻ってしばらくすると、医者がやってきて、もう大丈夫そうなのでこれから管を抜きます、と言った。
入れるのとは違い、抜くのは特に力のいらない作業のようだった。胸をいきんで下さいと指示され、言うとおりにすると、医者が管を引っ張り、それはするすると抜けていった。
管が抜けてしまうと、驚くくらいに身が軽くなった。痛みも全くなし。気分も体調もとても良い。このまま退院してもいいくらい。
やっぱりこれが全ての元凶だったんじゃないかなと、わりに本気で思う。


(2008/03/21)
更新が滞ってしまい申し訳ない。
言い訳をさせてもらえば、アパートの回線が繋がらなくなったり、
東京遊びに行ったりで、パソコンに向かわない日が続いたのです。
入院クロニクルは必ず書き上げるのでしばらくお待ちくださいな。

さて、3日間ほど東京に滞在していました。
とある写真展を観にいくためです。簡単ですが紹介させていただきますよ。

F.E.S.N.写真展「ドキがムネムネしちゃう★」

日時:2008年3月19日(水)~3月23日(日)
  (13時~21時、ただし最終日23日は19時まで)

出展者:fumi、エリコ、shiGe、のび

会場:MOTT gallery 2階


ちなみにF,E.S.N.のメンバーの一人である、のびさんはここのリンクにもある「のび日記」の管理人さんです。

どの写真も本当に素晴らしくって、東京まで行った甲斐がありました。
感想なら、もっと沢山あるし、長いのが書けると思う。でも心に留めておこうかな。
明後日まで(ちょうど土日ですね)開催しているので、お時間のある方は是非足を運んでみてはいかがですか。


入院クロニクル 弐 (2008/03/09)
連絡をし終えると、病院に行くための準備をした。
携帯の充電器、小説、iPod―そういった細々したものをカバンに詰めてしまうと、もう必要だと思われるものは何もなくなった。
カメラを持って行こうか少し悩んだけれど、結局置いていくことにした。

さて、あとは病院に向かうだけだ。
わざわざタクシーを呼ぶのも面倒だったし、通りに出ればすぐに拾えるだろうと思った。
実際、すぐに拾えたし、運転手は文句のつけようがないくらい荒い運転だった。
行き先は病院だったのに、僕は病人には見えなかったのかもしれない。試しに肺に穴が空いているんです、と言ってやろうかと思ったけど、
早く目的地に着くという彼の基本的運転方針には異論がなかったので、黙って右に左に揺さぶられていた。
病院の敷地内に入ると、運転手は、ぎっ、と音がしそうな勢いで入口前のロータリーに車を停めた。
僕はその賞賛すべき運転技術に敬意を払い、料金を“きっちり”払い、車を降りた。

病院の中は雰囲気の良い所だった。受付ホールにはカフェまであった。
病人も見舞いの人も、病院のスタッフですら、そこでコーヒーを買って飲んでいた。
僕もコーヒーを飲んで一息つきたかったけれど、もちろんそんなことをしている場合でもなく、紹介された呼吸器科まで向かった。
窓口に紹介状とレントゲンを出すと、すでに連絡が来ていたらしく、ナースが迅速に対応してくれた。
手渡された問診票を書くと、今度はレントゲンを撮りに行きます、と奇跡的なくらいの笑顔で言った。
(最初の病院でレントゲンを撮った時から、どう状態が変化しているか調べるためだ)
車椅子まで用意してある。ナースに車椅子を押してもらうのは二度目だ。一度目はインフルエンザに罹ったとき、あまりにも具合が悪くて、歩くのも辛かったからだ。
今回は、普通に歩けたのに、断らなかった。だって、悪くないじゃないか。多少申し訳なくは思ったけどね。

放射線科は壁も床も、ベンチですら真っ白で、日当たりも相当良かった。
ある種の静謐さすら漂っていると思った。やっぱりカメラを持ってくるべきだったと後悔した。

レントゲンを撮り終えると、(車椅子を押してもらいつつ)呼吸器科に戻り、採血をした。このとき、母の姿が見えた。軽く手を挙げる。
診察室に通されると、待っていたのは思ったよりも若い先生だった。最初に行った病院の医者は初老の方だっただけに、少し不安になる。
ここでもやはり、レントゲンを見ながら同じ病気の説明を受けた。僕は気胸という病気について、もう知らないことは無いのではないかと思った。
若い医者は、説明を終えると、さも当然だと言うふうに、入院してもらうことになりますがいいですか?と僕に訊いた。
僕も覚悟は出来ていたし断る理由も無いので、はい、とだけ答えた。簡潔なやりとりだ。

かくして入院が決まり、面倒そうな手続きを母に任せると、今度は治療の方針を聞かされた。
胸膣内にドレーンと言う管を入れ、そこから漏れ出た空気を抜くという処置をするそうだ。(説明が一行で足りてしまうのが悔しい)
通常病室のベッドで行う処置らしいのだが、まだ午前中でベッドが空かないので、診察台ですることになった。

正直に言って、僕はかなり緊張していた。ひとくちに胸に穴を開けると言っても、どんなことをするのかは想像もできない。
先ほどの若い医者に診察台に寝るように指示され、右腕を頭の上に置くような形にされた。(言い忘れていたが、穴が空いたのは右の肺)
消毒液を含んだ脱脂綿で右の胸一帯、特に脇の下を消毒されたときは、本当にくすぐったくて身をよじりそうになった。今思えば、それが一番辛かったことだった。
麻酔の注射を一本かける度に、感覚が無くなっていくのが面白かった。(僕は注射は怖くない)
しかし麻酔が終わった後、処置を行うための、真ん中に穴の開いたシートを体に掛けられ、そのせいで視界が半分くらい閉ざされてしまった。そのことがよけいに緊張感を煽った。
肌を切ったような感触があって、医者は管を手に取り、これから入れますと告げた。
すると、ほとんど全体重を掛けているのではないかというくらい、ぐいぐい押し込んできた。
勢い余って大変なことになってしまいそうで、僕は恐ろしくて気が気じゃない。医者の顔を見たけれど、それほど悪戦苦闘しているふうではない。元から力が必要な作業のようだった。
医者が力を込め続けると、ずぶずぶという感覚を伴い、管が入っていった。もちろん麻酔のお陰で、全く痛くないのだけれど、げんなりしてしまうくらい気持ちが悪い感覚だった。
多分、人食い虫が肌を突き破って身体の中に入ってくるとしたら、こんな感じだと思う。

胸の中に管を入れる処置が終わると、管の先には奇妙な器械が繋がっていた。ドレナージと言うらしい。管から出る空気を吸引する器械だ。
病室に運ばれる頃には麻酔も切れて、胸が激しく痛んできた。正直、病院に来る前よりも痛い。
ほとんど身動きが取れない。ただ起き上がることすらひどく時間がかかる。
時計も見えるところに無く、痛みに喘ぎつつ、いつ終わるとも知れない時間を過ごした。

続く。


入院クロニクル 初 (2008/03/07)
バイト上がりから病院が開くまで、しばらく時間があった。僕はパソコンを立ち上げ、気胸という病気について検索をかけた。
(前回も書いたが、以前友人が気胸にかかり入院したことがあって、僕の今の状態にそっくりだったからだ。)
調べたところ、やはり、全くと言っていいほど症状が同じだった。
原因を簡単に説明すれば、肺の一部が破れ、そこから空気が漏れるせいで起こるそうだ。
おまけに、背が高く痩せ型の若い(10代〜20代)男性に起こりやすい病気らしいということが分かった。
村上春樹風に言えば、「オーケー、僕はたぶん気胸なのだ。好むと好まざるとに関わらず。」ということになる。

そうやってパソコンの画面を眺め、だらだらとしているしているうちに、眠くなってきてしまった。
なんせ、ついさっきまで働いていたのだ。昨日の夕方から起き続けている。
睡魔に抗わず、むしろ積極的に甘んずることで、目が覚めるころには胸の痛みも消えてしまうような気がした。
僕は、そういう誘惑には弱い。とても弱い。思い直すまでしばらく時間がかかった。
濃いコーヒーを淹れ、まだ開いたままのパソコンで、近くに病院があるかどうかを調べた。
実はアパートから通りを挟んだ先に病院があることは知っていたけれど、わりに大きい所で、待ち時間のことを考えると、できれば個人病院に行きたかったのだ。
意外にも、よく利用するバス乗り場までの途中に病院があった。今まで気にも留めてすらいなかったんだろうな、と思った。

コーヒーを飲み干し、10時になるのを待って、とぼとぼと病院まで歩いていった。
駐車場には思ったより多くの車があった。看板を見ると、9時からすでに開いているようだった。
溜息(それほど深くはない)を吐き、待合室に入ると、流行っている病院だということがすぐに分かった。そして、患者の多くは老人だった。
受付の人に初診だと告げ、症状を簡単に説明し、空いている所に座った。
雑誌が置いてあるラックに目を向けたけれど、退屈を紛らわせてくれそうなものがなかったので、仕方なくじっとしていた。

10分ほど待って、診察室に通された。
医者が僕の体に起こったことについての問診を終えると、申し訳なさそうに、おそらく気胸ですね、と言った。
ネットで調べたことをなぞるかのように、僕にその病気の説明をした。
レントゲンを撮って確認すると、医者は頷いて、空気が漏れて小さくなった肺のラインを僕に示してれた。
まるで萎んだ風船みたいだな、と、他人事のようにぼんやり思った。
医者はここでは治療できないので、大きな病院の紹介状を書くからすぐに行って下さいと僕に言った。
タクシーを呼ぶようにと受付の人に言ってくれたけれど、僕はそれを遮り、断った。
もし入院するようなことになるなら、一度部屋に戻って支度をしていった方が良いと思ったからだ。
診察料を支払い、今度はレントゲンと紹介状を持って、またとぼとぼと歩いて帰った。

簡単に仕度をして、親とバイト先に、これから病院へ行くと電話を掛けた。

続く。


入院クロニクル 零 (2008/03/05)
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前回の更新から、随分間が開いてしまいました。実は入院してました。
今回から何回かに渡って、僕が気胸という病気にかかり、入院し、無事退院するまでのことを、
手元にあるメモ(暇だからずっと書いていた)を元に連載していきます。

入院クロニクル 零

■2月27日、深夜
事の始まりは、深夜バイト先の某ソンで働いていたときのことだ。
やけに荷物が少ない日で、品出しもそろそろ終わろうかというとき、突然、胸に激しい痛みが走り、それと同時に、息が出来なくなってしまった。

体験したこともない状態に、ものすごく恐怖を覚えた。ついに来た、もう死ぬかもしれない、と。
なんだかよく分からないけれど、僕の体に何かよくないことが起こったのは明らかだった。
しばらくそこでじっとして冷静になってくると、色々なことが分かってきた。
とりあえず意識ははっきりしていること、心臓ではなく、呼吸器のどこかが痛むということ、それからゆっくりとなら動けそうだということ。

死にかけの虫みたいによろよろとバックルームに歩いていき、スツールに腰掛けて休んだ。
昔、友人にも同じ様なことが起こり、しばらく入院していたのを思い出した。
このまま救急車を呼ぼうかと思った。だけど真夜中のコンビニで、僕独りしかいないのに店を空けるわけにはいかないじゃないか。
わざわざオーナーを叩き起こす気にもなれなかったし。
幸い、休んでいるうちに状態も落ち着いてきて、一番ハードな仕事もほとんど終わっている。
あとは細かい仕事と接客だけだ。どうにかなるだろうと、僕は朝までここにいることを選んだ。

朝、オーナーが引継ぎに来る頃には、かなり良くなってきていた。もう大丈夫だと勘違いするくらいに。
冗談半分で、胸が痛いんですよ、息も苦しいし、と僕は言った。
オーナーは、すぐに病院行け、なんだか知らないけど若いからってほっとくとまずいよ、と諭した。
意外にも真剣な言葉が返ってきたが、確かに、一応行くべきだなと思った。一時は大変な状態だったのだから。
(あとで知ったことだけど、気胸と言うのは、始めが一番辛く、進行が止まればわりに安定するそうだ)
その日の夜もバイトが入っていたので、病院での結果を連絡するとオーナーに告げ、バイトを上がった。

続く。


PHOTOBLUFF
© 相沢 琢磨 2008. (http://peter1985.blog41.fc2.com/)

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